公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

二酸化炭素
井上 祥雄


 2007年11月に採択された国連の「気象変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第4次報告書では,地球温暖化は疑う余地のない事実で,人為的な温室効果ガスが温暖化の原因である確率は90%を超えるとして,二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスの影響量が最も重要であるとした。2100年には平均気温が1.1~6.4 ℃,海面水位は19~58 cm上昇すると予測している。近年,原油高を受けてトウモロコシやサトウキビなど主に植物を利用して作ったバイオ燃料が注目を集めている。バイオ燃料でも燃やせば二酸化炭素が放出されるが,それは原料となる植物が成長過程の光合成で大気から吸収した分で,バイオ燃料の生産-消費のサイクルを続けることで一定量以上に二酸化炭素を増やさずにエネルギーを作り続けることができるとされている。しかし環境問題への関心が高まる中,バイオ燃料の原料となる穀物の需要拡大により食料資源獲得競争となり,世界的に深刻な食糧危機の一因となっている。このように,化石燃料消費による大気中二酸化炭素濃度の増加が,地球温暖化→バイオ燃料の増産→世界的な食糧危機へと負の連鎖を招いている。

 筆者は以前,遷移金属錯体触媒による二酸化炭素の有機合成化学的固定化反応に取り組んだ経緯があるので当時を振り返ってみたい。当初は未利用資源の開発いわゆるC1化学研究の一環であり,地球温暖化対策のための研究の認識はなかった。この時代二酸化炭素を触媒的に固定化する研究はほとんどなく,水素還元によるギ酸誘導体の合成法がわずかに報告されているのみであった。我々も常法として水素との反応を試み,温和な条件下,ギ酸を触媒的に得る方法を開発した。しかし,二酸化炭素とGrignard試薬などとの量論反応はよく知られてはいたが,炭素-炭素結合を形成する触媒反応の例はなかった。文献にない以上新反応を開発するしかない。しかしどの遷移金属化合物を触媒に用い,どのような基質を用いればよいか皆目見当がつかなかった。探索反応をいくら進めても成果はゼロであった。1年以上こうして過ぎていった。一番困ったのは,学生の修士論文,卒業論文である。記載すべきデータがない。学生諸君には本当に苦労をかけたと思っている。あるときパラジウム錯体触媒を用いて1,3-ブタジエンと二酸化炭素の反応を行ったところ,生成物のIRにカルポニル基の吸収が出現した。それはブタジエン2分子と二酸化炭素1分子から成るラクトンであったが,なかなか構造が決定できなかった。そうして数週間経ったとき,担当の学生が,構造がわかったと休日にもかかわらず,わざわざ筆者の自宅まで報告に来てくれた。研究結果はヨーロッパの速報誌に投稿した。レビュアーの批評は,この反応は収率こそ低いが二酸化炭素反応の重要性に鑑み,掲載を推薦するというものであった。ヨーロッパ化学会の懐の深さを感じた。この反応はその後,主としてドイツの研究者が深く追求し,今では収率・選択性ともに格段の向上をみている。一つの新反応開発を突破口としてその後いくつかの二酸化炭素新固定化反応を開発することができた。有機合成化学協会は単行本「化学者たちの感動の瞬間一興奮に満ちた51の発見物語」を発刊している。その中でY先生は有機金属化学の研究について「何をやってもセレンディピティの宝庫」「三日やったらやめられない」と書かれている。まさに筆者の当時の状況もそのとおりで,遷移金属錯体触媒反応の意外性,多様性を実感した。

 今春,大学卒業40年同期会が開かれた。近況報告の折一人が何やら配布し,説明を始めた。彼は指導教官から研究テーマを指示され一生懸命実験・研究し,卒業論文を提出して卒業した。しかしどうも腑に落ちないことがあり,このことが卒業以来ずっと気にかかっていた。ところが数年前あることがひらめいた。彼はひとりで論文を書き上げ専門誌に投稿し,受理された。彼が配布したものはその掲載論文の別刷りであった。

 東北大学は「研究第一主義」を標模している。工学部の解釈は「優れた研究成果が挙がるところにこそよい教育が育まれる」というものである。筆者は「研究を通して発見の喜び,感動の瞬間を体験する」と自分流に解釈している。学生諸君には研究を通してぜひとも化学の面白さ,醍醐味を知ってもらいたいと願っている。

(2008年7月16日受理)
ページ更新日
2011年10月25日