公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

識・想・応~若者へのメッセージ~
稲永 純二


 化学反応は勿論だが,物事に対する人のリアクションも大変おもしろい。美人とすれ違う時,討論で返答に窮した時,研究がうまく進まない時,人はそれぞれの反応や対応を示す。化学反応は何らかの形で遷移状態を越えるエネルギーが供給されれば起こることになるが,人の反応は,多くの場合,化学的な反射(本能)的反応に加えて思考を伴う「対応」となるので,その中味はさらに複雑である。ここでは,物事に取り組む際の人の対応の仕方について小考してみたい。筆者の場合は以下の3つの過程を着実に踏むことを心がけている。①正しい認識→②自由な発想→③誠意ある対応。この際,①の段階では②や③を,②の段階では③を完全に遮断することが重要である。

 ①正しい認識:「恐ろしく真実を語る者であれ」(ロダンの言葉,高村光太郎訳)。記憶が正しければ,確か中学生時代の国語の教科書に出て来たように思う。「恐ろしく」という部分がどうしても実感を伴って理解できず長く宿題として心の片隅に残っていたが,歳を取るにしたがって「分かる!」との思いが強くなった。昨今の薬害問題,「偽」表示事件,研究者のデータ捏造騒ぎなどを思い起こせば,「恐ろしく」真実を語ることがいかに大事であるかは明らかであろう。物事を正しく認識するためには,その結果想定される対応等を事前に考慮しては断じていけない。先入観や早とちりの予見を伴った認識は必然的にトンチンカンな対応に帰結せざるを得ない。共通の認識が無いまま進められ紛糾する多人数の会議などはその典型である。利害等の邪念を排除して正しく冷徹に対象を認識することが全ての出発点である。  ②自由な発想:いわゆるブレーンストーミング。ここでは何でも有りであり,それが実現可能かどうかなど,発想につまらぬブレーキをかけてはならない。現実の対応を気にした発想は貧弱で決して飛躍をもたらさない。発想はあくまで自由でなければならず,この段階で評価を下さないことが重要である。この点に関しては,大学1年生の秋に読んだ川喜田二郎著の「発想法」(中公新書)から受けた影響が大きい。

 ③誠意ある対応:今年正月のNHKの「英語でしゃべらナイト」にゲスト出演していた麻生太郎元外相が,外交を行う上で最も大事な点は何ですか?と問われて答えたのが “sincerity”。「男女の仲と同じように長続きが必要なものにはこれが一番大事でしょう」とのことであった。同感である。人間性は物事への対応という形で現れるので,自由な発想から出て来る多くの可能性の中から何を選択し何を選択しないか,その「流儀」が人間性(個性)を表すことになる。「正しい認識」と「自由な発想」に基づいて「誠意ある対応」をとる以外に人のとるべき道は無いのではないか。筆者の場合,対応の際にそれぞれ「戒め」あるいは「励まし」として(少しニュアンスが本来の意味と違うが)次の言葉を思い起こすことにしている。


天網恢恢疎にして漏らさず (老子)
徳は孤ならず必ず隣あり (論語)

 要は,お天道様はいつも見ているよということである。近年,品格という言葉が流行り過ぎて安売りされた感があるが,人間の品格は,どれだけ真摯に①②のプロセスを踏んだか,そして③の段階で,独立した個人としての矜持を充分示し得たかというところで決まるように思う。

 研究に対する姿勢も何ら変わるところはないであろう。①①に関してはまったく同じである。先ず対象とする研究の背景や実験事実を正しく認識するとともに,独自の考えを自由に飛躍させ発想の翼を広げる。そのスケールと深度が研究者としての本質的能力を反映することになるが,一切の制約が無く責任を伴わない発想ほど楽しいものはない。③の段階で,「実際に実験が可能か」「経済的に大丈夫か」「他人の後追い研究にならないか」「本当に意味のある研究か」等々,現実に引き戻されるわけだが,さてどの道を選ぶか,ここで研究者としてのセンスや品位が問われることになる。

 堅苦しい話しになりましたが,折角の機会を頂きましたので日頃思っていることを書かせて頂きました。若い世代への誠意ある対応としてお許しください。

(2008年5月8日受理)
ページ更新日
2011年10月25日