公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

[成果]=[脳力]×[努力]2
小林 進


 本年5月に本協会関東支部のシンポジウムを,筆者の所属する東京理科大学野田キャンパスでお世話させていただく機会を得た。新潟地区を含め関東支部の多くの諸先生方のご協力とご理解によって,100件近い口頭発表と400名近い参加者を得て,シンポジウムは期待していた以上の盛会となった。その際,感じたことを述べさせていただく。

 山田徹先生(慶大),竜田邦明先生(早大),藤田誠先生(東大)に特別講演をお願いした。三名の先生がたの講演は以前にも拝聴したことがあり,ご研究の内容もある程度把握している。でも,いいお話は何度でも聴きたいと思う。音楽に例えれば容易に理解されよう。クラシックでも好きな作曲家は飽きるまで聴く。通は同じ曲でも演奏家を聴き較べるだろうが,素人なのでそこまでの域には達しない。化学にあてはめればわかりやすい。同じ全合成の話でも,教授が話すのと実際に実験した助数,院生が話す違いだろうか。大切なことは,同じ題材でも話し手の考え方も昔から変わり,聴き手もその時々に抱えている問題点などによって受け方も異なってくるはずである。最新の成果は雑誌などで知ることができるが,特別講演の意義は別なところにある。このことを改めて感じさせてくれた三名の先生方の素晴しい講演であった。 野田シンポジウムを世話する立場としては,発表件数や参加登録者数など数字的には満足したが,内心(でもないが),不満を感じていた。内心でもないと書いたのは,閉会にあたって,型どおりの挨拶に加えて,「今回,多くの発表がなされたが,発表するのに要旨集を購入しない学生が多いことに驚いた。もっと向上心を持ってもらいたい」というような苦言を呈したからである。学生の参加登録は無料なので,交通費を別にすれば,たった千円の要旨集代だけなのに,である。

 昨今のインターネットの普及,ネットでの検索なども影響しているのではと危惧している。自分の時代は,と言うのは年を取った証拠であるが,どのような時代になっても変わらずに大切な幹は太く残っていなければならない。たとえ周りの環境が変わって,いくら発展しても人間の能力はちっとも進化していないのである。パソコンが有機化学に登場したのは,1980年代の半ばであった。ちょうどその頃,アメリカに出張する機会を得て,一年間留学したエール大学を再訪した。まだ,その当時はSchreiber教授がエールにおり,得意げにApple社製Mac Plusのパソコンを操作して見せてくれた。ChemDrawのカルチャーショックは大きく,早速,大野雅二先生に買っていただいたことを思い出す。それまでは,構造式はすべてロットリングで描いていた。ブレオマイシンもであった。何度も何度も同じような構造式を描き,否が応でも構造式を手が覚えたような感覚であった。現在はChemDrawなしでは何もできない時代になっているが,コピー&ペーストで本当に良いのだろうかと思う。地道に努力することを忘れてしまったのではないかと思う。自分で偉そうなことを書いているが,そういう資格はない。ここで思い出すのは,北原武先生(東大・名誉)である。ご自身から聞かれた方も多いと思われるが,北原先生は何年か前にブリュッセルからストラスブールに移動されるときに電車で荷物を盗られたことがある。ストラスブールでの講演の資料,パワーポントすべてをである。電車の中で,収率やNMRのカップリング定数まで思い出しながらOHPの資料を作成された。ストラスブールでの講演は,みんなが驚異を覚えるほどの見事なものであった。能力に加え構造式を常に手で描いておられた努力の賜物だと思い,その場に立ち会えたことは幸運であった。

 さて,以前,新聞で,〔成果〕=〔能力〕×〔努力〕という記事を読んだことがある。自分なりにさらに解釈を進めると,〔能力〕=〔脳力〕×〔努力〕となり,〔成果〕は〔努力〕の二乗になる。昨今,「鈍感力」というキャッチフレーズが話題になった。鈍感力も,こじつけて考えるならば,他人に影響されず,自分が信じたことに対して努力することそのものであろう。有機合成化学の「努力」には,SciFinderにとらわれず,思いついたら何でもトライする無駄な努力なども入るであろう。有機合成化学とは,そういう努力次第で脳力以上の成果を挙げられる分野だと思っている。

(2008年6月18日受理)
ページ更新日
2011年10月25日