公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

全合成研究と人材育成
西田 篤司


 私の研究のスタートは光化学反応の開発だった。一電子移動とか,励起複合体の化学や反応機構の検討を行ったのが4年の卒業研究だった。最初からセレンディピティに恵まれ,米光宰教授を始め,周りの先生がJACSだ,なんだとわいわい騒いでいる中,自分ではよくわからず,ただ楽しく実験をしていた感がある。その後も,反応の開発と応用を念頭に研究を行ってきたが,1996年に千葉大学に赴任してから中川昌子教授の指導の下,本格的に全合成研究をスタートした。メインテーマの「海洋天然物マンザミンAの合成」は環形成,不斉中心の構築,官能基変換どれをとっても難しく,永遠のテーマのように思えた。人によっては全合成を登山にたとえるが,私にとっては子供の頃大好きだったプラモデル作りに似ている。正月の小遣いで買った外車(フォルクワーゲンビートル)のプラモデルを,早く接着剤を乾かしたい一心でストーブの側に置いたところ,目を離したスキに無惨にも溶けてつぶれていた。北海道のストーブの熱さを甘く見た,状況判断の悪さを学ぶには十分過ぎる,もの作りから生まれた体験である。プラモデルには設計図がついてくるが,全合成では自分で設計図を作らなくてはならず,その意味では3次元の寄せ木パズルに,より近いかもしれない注)。しかもピースは一部しか揃っておらず,自分で形作ったり,はまりの悪いピースを削ったりしなければならない。いつもパズル(分子)全体のイメージが頭の中にできていることが大事である。ピースの組み方は無限のように見えるが,うまい合成ほど論理的に組み立てられており,その分子構造のトリックを一目で見抜く天才の力量に圧倒される。私どもはまだそこまで至らず,半年,1年かけた練習期間の後,やっと分子のからくりが見え始め,試行錯誤と幸運の組合せによって,ようやく合成を進めている段階である。その間,担当する学生と分子構造の仕組みを一つ一つ学んでいく過程は忍耐を伴うものの,いかにも楽しく,議論を重ね人間味にあふれる作業だ。全合成では時に数百グラムの原料合成や試薬合成も必要となり,いわゆる3Kの力仕事もしなくてはならない。数工程先を見越した試薬の調達や反応・条件の調査が必要となり計画性の訓練となる。企業では購入する試薬も,大学では教育も兼ねて合成する。私自身もTBDMS–ClやDIBALの合成・蒸留をしたことがある(後者の蒸留は空気に触れると発火するので怖い)。アメリカでは究極の嵩高い保護試剤(tBu)3Si–OTfも作った。こういう経験を積んでおくと,たいていのものは作れる気がしてくる。また合成の終盤では10 mg 以下の化合物で何工程進められるかが勝負になる。すべての基質をなくしてしまうのではないかという恐怖と戦いながら単離・精製・構造決定の技術が磨かれる。本来,合成研究であるから,もっとたくさんの化合物が合成できていなければならないはずであるが,ルート探索では天然物化学に近い探索技術も要求される。溶媒などに含まれる微量不純物の除去も重要である。また,大量合成と少量合成の根本的な考え方の違い,危険性の予知など全合成から学ぶものは計り知れない。

 さらに,全合成はやはり完成させなくてはならず,うまく行かなければまたピースをはめる順序を考え直すことになる。一つの合成を経験した後,また新しい化合物に挑戦しては生みの苦しみを味わうが,修羅場をくぐった学生達は多少の困難にぶつかってもあまり動じなくなる。苦しみの先にあるものの大きさが見えているからだと思う。最初は先輩の追試もろくにできなかった学生が,反応性の高い官能基をすり抜けて目的の場所にピンポイントで反応させたり,新しい合成経路を提案してきたりすると,「おお成長したな」と一緒に飲みに行きたくなる。このように全合成修行は徒弟修行にも似ており,前近代的との批判もあるが貴重な技術の継承・発展と人間形成の時間である。

 学生達の多くは,よい研究者として企業の研究開発グループの一員になるという目標がある。そのために,企業セミナー,説明会と走り回る。研究室も受験生を抱えた親のような気持ちで彼らを見守っているが,産学の知恵を出し合って少しでもよい就職システムを作れないかと願うものである。

注)東工大鈴木啓介近著「天然有機化合物の合成戦略」(岩波書店)にも同様なイメージが表現されている。

(2009年4月1日受理)
ページ更新日
2011年10月25日