公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

教室の窓から思うこと
柳 日馨


 「良くないもの」を見つける。そしてそれを「より良きもの」,できるならば「画期的に良きもの」に変える。決して横目でやりすごさない。この当たり前のことが,教育でも研究でも,そして日常の生活でも同じように欠かせない事柄のように思う。解決が難しそうでそのままにしておく方が楽に見える時にこそ,さりげなく一歩前に出て,「師」のかろやかに変える力を示すことができれば,「タックルすればきっと変えられる」という意識を学生の中に自然にはぐくむことができるだろう。

 1年生に有機化学を教えるようになってかれこれ10年近くになる。最初はデューティとして始まったのだが,この4年ほどは自ら志願して自学科の1年生を教えている。最近,この教育活動で小さな賞をいただいたが,外部資金獲得と関係のない教育で褒められるのはいささか気分がよい。授業ではまず彼らに「よく頑張った。もうこれからは入試のための勉強はしなくていいのだ」ということにしている。言葉は想像力なので,この教師は「なにやら自分たちに,これまでと違う勉強を求めているようだ」ということだけは感じとってくれることだろう。第1回目の授業では,生命体の関連物質がすべて有機化合物であることを確認する。アミノ酸,タンパク質,そしてDNA。「安物」元素でできた有機化合物だが,その構造からくる機能は際立った優れものだ。2回目の授業では,いまだに有機化学の教科書に生き残っていることに感心しつつ,混成軌道をわかりやすく教える。5回目の授業で自由エネルギーの概念を説明する時も力が入る。例示なしの独学ではエントロピーの理解はやや難しい。そして,学生には教科書の内容は「変わる」ということも知ってもらわないといけない。学生たち自身が教科書を変えるような発見をする主体として,実はとても近い位置にあることにも気付いてもらいたいと願っている。これからは単なる知識取得ではなく,何かを見つけたり,何かを理解するための「一歩前に出る」勉強があるのだから,苦しくも楽しいはずだというのが教師の言い分だ。

 あと1年生には,Watson とCrick による1953年の論文(Molecular Structure of Nucleic Acids, J. D. Watson, F. H. C. Crick, Nature, 171, 737(1953))を渡すことにしている。A4 で1ページを少し越えるだけの論文でノーベル賞を取れたのかと彼らは一様に驚くが,ほどなくイントロダクション部分は彼らの英語レベルで十分に理解できることに気がつく。大科学者のLinus Paulingの提唱構造を2つの理由で不十分としながら,自分達の二重らせん構造へと導く若き研究者のイントロダクションは実際,短くも論理的故に美しい。

 ところで,周囲の空気を読めない人のことを“KY”というらしい。人間生活のKYは時に困ったものだが,研究生活は周囲や権威にただ合わせていては学問の進歩は起こらない。いつも潜んでいる本質を素早く見抜けるのは,少数の優れものである。多くの人が当たり前とすることでも疑問に思えることを大事にし,周囲と見方が異なっても憶することなく発言のアクションが取れる雰囲気の醸成も大切だと思う。筆者の場合,修士から博士課程へと進むにつれ,時間を気にせずに行われる雑誌会はやがて苦痛が減り,待ちわびるものとさえなった。これは理解度もあったろうが,先生方と憶せずに反応機構を議論する雰囲気に親しんだことも大きいと思う。今思えば,実はそんな雰囲気は,「師」に「あえてつくってもらっていた」に違いない。学問上の議論ではみな対等であり,間違った解釈にはたとえ教員でも指摘を躊躇してはいけないことを,自然にすり込まれた気がしている。

 さて,半期15回の徹底,シラバスにおける毎回の授業範囲の呈示,学生による授業アンケート結果への返答,同僚による授業参観チェックなどなど,大学の先生の教育現場はいつの間にかとても忙しくなった。伝えたい引き出しが多くありすぎて授業のペースがうまく守れないと,時には学生からの突き上げを食らうかも知れないが,ひるまずに印象に残る「強い授業」を追求し続けたいものだ。数値化による教育評価や研究評価は必要でも限界がある。学生たちには,かつての自分がそうされたように,アカデミアでの自由な空気や憧憬を強く感じさせる教育と研究を追求したいと願っている。

(2009年6月4日受理)
ページ更新日
2011年10月25日