公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

全合成の魅力と意義
本多 利雄


 学部4年次の卒論研究以来,生物活性天然物の全合成研究に携わって早や40年が過ぎた。その間,一つの合成対象領域に関わることなく,あえて各種領域の化合物の合成を行ってきた。アルカロイド,テルペン,ステロイド,β-ラクタム系抗生物質等々である。どの領域の化合物も化学反応性や安定性等にそれぞれ独自の特性があり,研究対象としては優劣なく興味深い分野であった。また,どんな分野においても,合成途上には必ずといってよいほど予期せぬ困難が横たわっており,その克服に苦労してきた。これらの苦労も天然物合成の醍醐味の一つであり,そのような合成過程でいくつかの新しい反応を見出すことが出来たのは幸運であったとも言えよう。

 この間,機器類の飛躍的発展は言うに及ばず,試薬や溶媒の純度の向上,遷移金属の活用に代表される種々の新反応の開発により,有機合成化学も長足の進歩を遂げ,その方向性も多様性をもって変化してきたように思う。新しい試薬や反応の開発は洋服にたとえるなら,新しい生地や素材の開発に例えられよう。一方,如何に良い生地や素材があろうともデザインが素晴らしくなければ着心地の良い,見た目にスマートな洋服は完成しない。全合成は設計(デザイン)の巧拙で成果が左右される。

 さて,合成化学の原点は間違いなく欲しい化合物を作る化学であろう。ものを作るという観点だけから論じると,そのプロセスは簡単であればあるほど良いということが言えよう。入手容易な試薬を使い,短工程かつ高収率,また安全で安価,さらには実験条件も含めて操作も容易であることが望まれる。それに加えて合成対象化合物が高い付加価値を有していればそれ以上言うことはない。合成化学においては,「最も工程数の短い合成」,「最も収率の高い合成」,「最も安価な合成」等々の種々条件に即した合成法があり,一般的にはそれぞれが別の場合が多いが,収束的にはこれらすべての条件を満足する合成法が最も素晴らしいということになろう。さらに論文として成果の公表という要素を加味すれば,その合成スキームに自分の合成に対する美学(理想)が表現できることが望ましい。ところで,対象化合物を合成する際に考える要素として,純粋に収率や価格等の合成効率を重視する場合,反応や試薬の開発を重要な要因と捉える場合,あるいは開発した反応の応用拡大に重点に置く場合,さらには新規合成戦略・方法論の確立を目指す場合等々,同一対象物でも状況によりかなり合成ルートは異なってくるであろう。しかしながら,どのような場合であろうとも広く応用可能な簡易合成法の確立は有機合成化学においては最も重要な要因の一つであることに違いはない。

 現代の合成化学では,ややもすると難しい試薬や反応を使ったり,困難な反応条件を用いたりして目的を達成するという,高度な手技を誇示するかのごとくの合成が素晴らしい合成と捉えられがちな傾向に感じられる。もちろん,このような研究があってこそ,これまで不可能であった結合形成や切断が可能になったり,選択性や特異性を発現できるようになったのも事実であり,決してこれらの合成を否定するものではない。むしろ合成化学のレベルを飛躍的に向上させたという意味で賞賛すべきであり,学術的にも価値の高い研究が多いのも間違いないところである。しかるに,それらの研究と比して,有機合成化学が求める本来の意義である新規合成法の確立,特に短工程あるいは簡易合成法の確立,さらには大量合成への応用といったような研究が比較的軽視されている傾向にないであろうか。合成対象化合物がより高い付加価値を有すれば有するほど,より簡便な合成法が求められるであろう。そのような観点からも,今一度,合成化学を見つめ直す必要があるのではないかと感じている。

 次世代を担う若い合成化学研究者は,自身の信念に基づいて独自の研究に邁進して欲しい。また決して一つの分野に固執することなく,あらゆる領域の合成に積極的に挑戦し,それらが独自に発揮する醍醐味をぜひ味わってもらいたい。“Chemistry is Chemistry” である。また,それが有機合成化学の今後のさらなる発展の礎になるものと確信している。

(2010年3月4日受理)
ページ更新日
2011年10月24日