公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

縮みの文化と分子ミニアチュア
入江 正浩


 「鉄道模型には,大きさに応じて(線路の幅による),O,HO,Nゲージなどがあり,最近ではさらに小型のZゲージがメルクリンから発売されている。よくできた模型には,本物に負けない魅力があり,走っているのを眺めていると,子供でなくとも時間を忘れてしまう。小さくつくること〔ミニアチュア化(miniaturization)〕には,それ自体の面白さとともに,小さくすることによる新しい価値の生まれてくることがある。一つの例が,大規模集積回路(LSI)である。素子,回路のミニアチュア化の達成により,高集積化が可能になり質的変化がもたらされている。――――― 電子工学の分野におけるこの流れを,有機化学の目で見ていると,ミニアチュア化を,いっそのこと分子のレベルにまで押し進められないかということになる。――――― 現在の有機化学の知識を用いれば,さまざまの事物のミニアチュアを分子レベルで組み上げることが出来そうである。ここでは,動く機械部品,装置をその対象として取り上げる。――――」

 この文章は,1987年に「生産と技術,39,49(1987)」(大阪大学生産技術研究会編)に書いた総説の書き出しである。日本には,「縮み志向の文化」がある。「なにもなにも,ちひさきものはみなうつくし」という心情をもつ日本人にとってミニアチュア化は,まさに格好の研究課題である。当時,私自身,上に述べているように光誘起コンホメーション変化する光応答性高分子を基に「分子マシン部品」を創ろうと研究をすすめていた。この総説の4年後の1991年にJ. F. Stoddartにより往復運動する最初の分子マシンと言うべき「分子シャトル」が発表され,それを契機としてさまざまの精緻な分子構造をもった「分子マシン」の報告が続いた。J. P. Sauvageの人工筋肉,B. L. FeringaらあるいはT. R. Kelly らの分子ローター,V. Balzani,J. F. Stoddartらの分子エレベーター,J. Tour らの4個のフラーレンを車輪とするナノカーなどがその代表例である。光応答分子材料の研究者として,これらの分子マシン研究への思いを述べてみたい。

 これまでの分子,超分子マシンの動きは,残念なことに分子レベルにとどまっており,マクロレベルの材料の動きには繋がっていない。一方,生物系を眺めると,分子レベルでのアクチン–ミオシンタンパクのすべり運動が,巧妙な自己組織化により方向性をもった力となり,結果としてマクロレベルでの筋肉の動きに繋がっている。もし,生物における筋肉の動きと同様に,分子レベルでのメカニカルな動きをマクロな材料の動きに拡大増幅することができれば,分子材料化学に革新的変革が生まれると期待される。

 それでは,どのようにすれば分子の世界とマクロの世界とを繋げることが可能になるのであろうか。ナノテクノロジーの重要課題の一つは,ボトムアッププロセスとトップダウンプロセスとをいかに融合するかである。現在の分子マシンは,ボトムアッププロセスの不備により中途半端な状態にとどまっている。分子あるいは超分子をいかに方向性をもたせて自己集積化あるいは自己組織化し,分子自身の動きあるいは働きをreal world における自立した機能に繋げるかが問われている〔研究総括をつとめている現在進行中のJSTのCTEST(ナノ構造体)研究もまさにこの課題解決をめざしている〕。そのためには,精緻な分子,超分子を創るだけでなく,その先のボトムアッププロセスまでを見据えた巧妙な分子の構造,集積体の設計が求められる。この創造的解決により,はじめて,分子マシンが単なる「うつくしきもの」から,真の意味のある新しい価値をもった分子材料に変身すると思われる。ようやく,この目標達成に向けた道筋が見え始めたところである。

(2010年1月12日受理)
ページ更新日
2011年10月25日