公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

Integrated Chemical Synthesizer
吉田 潤一


 1994年にAllen J. Bard が“Integrated Chemical Systems. A Chemical Approach to Nanotechnology”というタイトルの本を著している。1987年に行った講義(Baker Lectures at Cornell University) を元にしたとあるが,内容は現在でも非常に興味深く示唆に富んでおり,先見性の高い本である。この本のFuture Integrated Chemical Systems という最終章に,integrated chemical synthesizers が簡単なスキーム入りで取り上げられている。これは,an ICS synthesizer would consist of small (millimeter– to micrometer–sized) reactors, designed for a particular application, along with associated ICS devices for moving reactant and product streams (pumps), mixing reactants, analyzing streams, and separating products. (ICS はintegrated chemical system の略)と定義されている。Bardは,約20年前にすでに,現在のフロー・マイクロリアクターシステムを予言していたのである。とくに興味深いのは,the use of serial reactors to allow controlled sequential reactions of intermediates というくだりである。不安定な中間体を発生させ,それが分解する前にフロー系で次の反応器に移動させ望む反応に利用するという概念が,すでにここに述べられている。実は,このようなアイデアは多くの化学者の中にあったのかも知れないが,それを具体的に実現する方法が今までなかったのではないかとも考えられる。しかし,この約10年間でフロー・マイクロリアクターが実用的に使えるようになり,ミリ秒オーダーの滞留時間で活性中間体を合成反応に活用できるようになった。つまり,Bardのアイデアが実現可能な時代になってきたといえる。

 平成21年度から始まった新学術領域研究「反応集積化の合成化学 革新的手法の開拓と有機物質創成への展開」は,まさにこのアイデアを実現し,実際の合成に展開しようとするものである。集積化により短寿命活性種の制御と活用が容易になるという特長を生かして,従来達成困難であった分子変換法を構築するとともに,実際の生物活性物質合成や機能性物質合成への展開を行い,有機合成化学における新領域の構築をめざしている。本領域では,同一時空間集積化(ドミノ反応,タンデム反応など),時間的集積化(ワンポット反応),および空間的集積化など多様な反応集積化法を対象としているが,とくに空間的集積化は,フロー・マイクロリアクターの特長を生かして,不安定活性種を中間体とする反応集積化を目指している。

 現在,フロー合成という有機合成化学の新しい潮流が,世界で起こりつつある。たとえば,2005年から2009年にかけてヨーロッパでIMPULSE (Integrated Multiscale Process Units with Locally Structured Elements)プロジェクトが行われた。また,2007年から10年計画で多段階フロー合成をめざしたNovartis–MITのビッグプロジェクトも始まっている。ここには,MITの有機合成化学者も参加しており,今までヨーロッパと日本が中心であったこの分野に,いよいよ米国も本格的に参入しはじめた。

 これまで有機合成化学者は,実験室の反応器として,ほとんどフラスコしか利用することができないという状況であったが,反応環境を格段に精密制御できるフロー・マイクロリアクターという新しい反応器が手に入るようになった。その利用によって,今まで実現できなかった分子変換が可能になり,新しい生物活性物質や機能性物質の創成が可能になるに違いない。従来のフラスコの制約から解放された新しい有機合成化学の領域を開く時がきたといえる。

(2010年4月5日受理)
ページ更新日
2011年10月25日