公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機合成と青いバラ
大船 泰史


 およそ20年前,(財)サントリー生物有機科学研究所に在籍していた頃のことである。同じ建物にあるサントリー(株)基礎研究所では「青いバラ」が大きな話題となっていた。何百年にわたる交配を経ても実現していない青いバラを咲かせるプロジェクトがはじまることに,誰もが驚きの目で見ていた。果たして実現可能かどうか,財団の所員としても興味津々であった。青いバラは,青色のフラボノイド色素を発現する遺伝子をバラに埋め込むことで実現できるとの戦略はたっていた。ただ,それを実現するには乗り越えるべき多くの科学的・技術的諸問題が予想された。また,事業としてはどうか。バブルの最中でもウイスキーの売り上げが伸び悩み,会社としては研究開発に引き締めをかけていた。役員会ではあまたの反対があったであろうことは想像に難くない。当時の会長であった(故)佐治敬三氏は,英国王室のエリザベス女王に捧げられればこの目的は達せられると述べ,承認したと聞いている。この卓越した見識には脱帽するしかない。企業研究でありながら文化への貢献を第一に考えることが,まわりまわって科学の進歩や企業に利益をもたらす結果となる格好の例であろう。15年以上の研究開発を経て,昨年末,SUNTORY blue rose applause として発売に至った。花言葉は「夢かなう」だそうである。

 さて,「有機合成における青いバラ」は何だろうというのが本稿の趣旨である。なかなか好例も思い浮かばず,一昨年50周年を迎えた天然有機化合物討論会講演要旨集の復刻版を手にしてみた。このなかには,これまでの数千件にも及ぶ講演要旨のなかから20件が厳選復刻されている。最初に,第3回の目(さかん)武雄先生による「マタタビの化学的研究」が,続いて植物成長ホルモン「ジベレリンの化学構造」,そして1964年の第3回天然物国際会議におけるフグ毒テトロドトキシンの構造決定について,Woodward,平田,津田らの講演要旨が3件続けて収録されている。さらに,ウミホタルルシフェリン,ペデリン,銀杏のギンコライドの構造と第10回までは構造決定がつづき,そのあとにこれら天然物の全合成が選ばれている。1980年代から現在にかけて,パリトキシン,メタロアントシアニン,シガトキシン,ツユクサ青色花弁色素コンメリニンの構造決定と数題の海洋天然物の全合成が選ばれている。いずれもその時代にある研究手段では到達が困難と考えられていた課題である。これらの研究は機器分析法の進歩を促し,さらに全合成による供給と生物科学研究が連動して自然現象の理解につなげた。天然物の探索研究には「自然のなぜ?」から出発してそれを分子で解き明かす醍醐味がある。マタタビ,フグ,ホタル,イチョウ,ツユクサはわが国の自然文化そのものともいえよう。先達はここに強い好奇心をもって「青いバラ」プロジェクトを着想し,評価系の構築や構造決定にさまざまな工夫をこらして目的を達成した。全合成にも既存の方法論では解決できない数多くの課題を抱えていた。そのプロセスこそが挑戦に満ちたものであり一般性の高い多くの新反応の開発を伴った。50年の歴史を刻んだ今日,テーマが小さくなった感も否めないが,構造決定や合成にとどまらず生物機能解明に迫る総合的な発表も増えてきた。生合成では物質生産に急速な革新がもたらされつつある。

 現在,有機合成は触媒的不斉合成やさまざまな新反応剤の開発によって有機反応や生体内触媒反応の本質に迫る知識の集積とともに有用物質の高効率合成に格段の進歩を遂げている。サイエンス全体からみても生物機能や物性機能など,目的を達成するための手段として確固たる地位を占めている。一方では,これからも既存の方法論では到達不能と思えるような目標設定こそが発想の原点に置かれるべきである。研究には組織力も必要であろうが,何より研究者個人の発想こそがブレークスルーを生みだす源泉である。さて,有機合成の青いバラ,すなわち有機合成分野がイニシアチブをとりその成果が科学の諸分野の発展を触発し,社会や文化に貢献するような研究課題は何であろうか。これまで,合成や反応の面白さに引きこまれて生物活性アミノ酸類に関する化学研究に取り組んできた。自然をもう一度ゆっくり眺めなおして発想を新たにしたいと考えている。メーテルリンクの「青い鳥」は家の鳥かごのなかにいた。「青いバラ」は挑戦者の物語である。

(2010年4月8日受理)
ページ更新日
2011年10月24日