公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

Chance Favors the Prepared Mind
塚本 紳一


 皆様非常に多忙でおられる中,読者の中でも,この巻頭言を読まれる方は,この本が届いたときに偶然に,心に少し余裕のある方ではないかと思う。私もそのような読者のひとりだが,たまたま目を通した巻頭言に,心を動かされたことがあった。それにまつわる私自身の思いを書いてみたいと思う。  私は,大阪大学産業化学研究所湯川研究室を卒業後,アステラス製薬(旧山之内製薬)に就職し,メディシナルケミストとして,組織マネージャーとして30年を超えて創薬研究に取り組んできている。役割が変わる中で,考える視点が,自分あるいはグループの仕事主体の考え方から,組織としてより大きな成果をあげるためには何が必要かというふうに変わってきた。

 この間,外部環境も大きく変わってきた。大学等公立研究機関においては,経済成長の中で,比較的平和に研究者がその専門分野でこつこつと研究が出来た時代から,社会あるいは産業への貢献が問われる時代になり,研究者として,社会あるいは組織に対して説明責任が求められるようになってきている。この背景には,長期にわたる経済の停滞,社会構造の変化,財政的窮状がある。企業の中においても,大学等公立研究機関とは背景が異なるが,それでも同質の変化の中に置かれていると私は感じている。業種によって事情は異なるかもしれないが,80年代あるいは90年代の成長を牽引した技術がある程度飽和状態を迎え,次の成長を支える技術戦略が何であるのか,不透明な時代である。本当に会社および社会に対して求められる貢献が出来るのか,この説明責任が強く求められている。

 このような環境変化の中でとかく議論に上るのが,研究は管理すべきものなのか,すべきでないのか,どれほどの管理が適切であるのか,といったことである。そのような時よく登場するのが,「セレンディピティ」である。私は,この言葉は好きではあるが,どちらかというと,そっと心の中にしまっておくものだと思っている。たとえば,「過去の大きな発明・発見には『セレンディピティ』から出てきているケースがたくさんある。だから,『セレンディピティ』を大事にして,リソースの10%は自由研究にしましょう」などという意見には同調できない。思いがけない発想というものは,目の前の課題にとことん打ち込む姿勢において,苦しみ,もがくなかで,偶然ある瞬間に出くわすものであると信じている。これは,その研究が管理されたものか,自由なものであるかには依存しない。同じことを目にしても,求める準備の出来ていない人には,ただの多くの情報の一つであったり,状態の変化にすぎない。これがたまたま,日頃常々考えあぐねていたある課題に関係することであったときに,稲妻のごとくその人に着想が生まれる。そのようなものだと思っている。

 その一方で,視野の狭い人には,貴重な遭遇の機会も少ない。24時間,目前の仕事だけに没頭し,他のことは考えられないような状態では,消耗するだけである。こんなときには,心の中にしまってある「セレンディピティ」を引き出してくるとよい。好奇心は,人の成長の源である。「セレンディピティ」を旨に,異分野の学会に出かけてみるのもよいのではないか。案外,面白い出会いが待っているかもしれない。

 創薬の世界においても80年代あるいは90年代に比べて,新薬を世に出すことが難しくなってきているとよく言われる。そのような中,研究本部を担当することになったが,さて,組織長としてどのように若い研究者と向かい合っていこうかと考えていた。そんな時,次の言葉と遭遇し,わたしの頭に稲妻が走った。

Chance favors the prepared mind.

 パスツールが語ったとされる言葉である。たまたま,上司より紹介された「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著)を読む中で出会った,たった5個の単語からなるこの言葉,よく引用される言葉のようであり,ひょっとしたら私の人生の中で始めての出会いではないかもしれないが,今の私には,珠玉の言葉となっている。

(2010年5月18日受理)
ページ更新日
2011年10月24日