公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機合成に続くもの
清水 功雄


「我が共和国に学者は要らない,さあ,裁判を続けよう」

 ギロチンにかけられるラボアジェに対して,数学者ラグランジェは「彼らはこの首を落とすのに,一瞬しかかからなかった。だが,これと同じような頭を得るには,1 世紀あっても足りないであろう」と語ったとされる。フランス革命直後のことであった。化学史に残る数々の業績を残したラボアジェでさえ,その業績に対して当時の人々の理解を得ることはできなかった。社会の変化の激しい,混乱の時代の出来事であり,まだ科学技術という言葉そのものもない時代であった。科学技術をとり巻く状況は,平和な時期においても一様ではなく,社会環境の影響を大きく受ける。ここ10 年ほどは,従来体制による日本の孤立が心配され,いわゆるガラパゴス化を脱するいろいろの試みがなされてきている。

 現在,研究の盛んな大学では修士課程への進学率は,8 割前後となって,理系では大学院進学は当然のこととなっている。この数字から判断する限り,本誌の読者も,多くは大学院で有機合成の研究教育を受けた方々(あるいは現在在学中)と思う。大学院教育の特色は,研究室の実践教育である。これは,教育の場と開発の場が一つとなって,教育効果が高く,最も成功している教育法と考えている。日本の大学が社会に人材を配してきたのは,この研究室教育に他ならない。にもかかわらず,大学院教育における人材育成に対しては必ずしも順風とはなっていない。

 大学院が抱える課題の一つに博士課程の進学率の伸び悩みがある。かつて,理工系の40 名ほどの大学院修士課程学生の講義で,博士課程の学生を増やすにはどうしたらよいかを議論した。学生の側から「学費を取らない」「生活費を支給する」などの経済的支援に関するものを中心とした様々な意見があった。いろいろな意見が出たところで,最後にどの案で進学を決意するかについて質問すると,どのような対策に関しても,決定的な進学の動機にはならないことがわかった。事情は様々とは思うが,彼らの本音は「博士課程進学のメリット」が見えず,インセンティブが湧かないというのが結論であった。これは学生から見て,学部卒と修士修了ほど,現在の大学院教育では修士と博士の差がなく,日本の企業ではアカデミックの場ほど学位の持つ意味がさほど大きくないことにある。むしろ,予想したことではあるが就職できなくなる等のステレオタイプな否定的意見が多かった。  有機合成化学の領域では,博士の民間企業採用は多く,アカデミックに固執しなければ卒業後の就職に困ることはない。採用担当側も,むしろ研究開発ができる博士を積極的に採用している。化学系の博士課程修了者は企業と大学でバランス良く人材が活用されているように感じている。問題を抱えているのは,おもにライフサイエンス系であろう。健康・医療に関連する領域であるから,社会の関心が高く,公的資金が得やすい。大型のプロジェクトも多いことから,学位取得者らの高度の若い研究経験者が多く活躍することになる。このことは一定の年齢に達すると受け皿がなくなり,実際,バイオ人材の過剰感がある。

 20 世紀後半から21 世紀にかけて生物学が急速に展開した。とりわけ電子産業,情報産業の発展はバイオテクノロジーを加速化している。かつての物理帝国に代わり,ライフサイエンス共和国が誕生している。ライフサイエンスの展開は,有機合成研究も変えつつある。ハイスループットスクリーニング,イメージング技術,再生医療など最新のライフサイエンス研究に有機合成化学は不可欠であり,融合領域における新たな学術創成やイノベーションが期待できる。有機合成にとどまることなく,広く領域を展開する機会も増えている。21 世紀に入って早くも10 年余り経った。今日,迎えているのは,やはり社会的な大きな変化である。変化に対応できる高度の有機合成研究もさらに必要となるが,有機合成に続くものも求められよう。当然,多様な領域で活躍できる有機合成研究者の輩出が望まれるが,その努力は本協会会員の使命であろう。

 「この国に有機合成化学は必要だ。さあ,改革をすすめよう。」


(2011 年11 月7 日受理)
ページ更新日
2012年4月23日