公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

大地震に遭遇して
桑原 重文


 東北地方の太平洋沖を震源とする大地震が仙台市中心部の北端に位置する東北大学農学部を襲ったのは,例年より少し早めに行われた研究室の追い出しコンパの翌日,3月11日(金)の午後2時46分のことでした。朝方まで送別の宴に酔いしれた学生が多く,その時実験を行っていた学生は数名に留まっていました。大きな揺れは波状的に3回起こりました。1回目の揺れからして想像を絶する激しさでしたが,いつもの地震の時と同じように,心もとない足取りで教授室の隣りにあるTHFの蒸留装置の様子を見に急ぎました。幸いにも使用しておらず,アームとねじ釘で壁と机に固定された装置はびくともしていませんでしたが,一安心したのもつかの間,さらに強烈な2回目の揺れが襲いました。昭和30年前後に建てられた農学部本館全体がギシギシと大きな音と埃を立てながら上下左右に激しく揺さぶられ,壁にしがみついて立っているのがやっとの状態でした。見る間に,本棚のすべての書籍と書類,実験台に置いてあったほとんどすべての器具と溶媒の入った瓶が落下し,実験室は足の踏み場もない状態になりました。教授室のOA機器や書籍,書類もほとんどが落下してうずたかく積み重なり,椅子に座っていたら生き埋め状態になるところでした。これで収まったかと思った次の瞬間,追い打ちを掛けるように第3波の揺れが続き,建物が倒壊して一巻の終わりかと覚悟めいた感覚を覚えながら,ひたすら嵐が過ぎ去るのを待ちました。大きな揺れが一通り収まった後,埃に煙り,大型冷凍庫で塞がった廊下をぬって,研究室員全員で屋外に避難しましたが,床に落ちて破損した瓶から流れ出た引火性溶媒のことが心配でなりませんでした。2時間ほど経過して余震もやや落ち着いてきた頃を見計らって建物内に入り,皆で手分けしてペーパータオルや新聞紙を使って手早く拭き取り,戸外に出しました。まだ断続的に余震が続いており,大きなジレンマの中での判断でした。

 地震直後から電気,水道,ガスの供給がストップし,スーパーマーケット,ガソリンスタンドを始めとして,ほとんどすべての店舗が営業を休止しました。日々の生活が困難になっていることを認識したため,翌朝10時に皆に集まってもらったものの,その日は学生全員に自分の生活を優先させるよう指示し,スタッフと学生有志数名のみで少しずつ後片付けと被災した分析機器の動作確認をすることにしました。幸いにもIRと旋光計はかろうじて落下を免れ,大きなダメージを受けていないようでしたが,NMRについてはマグネットが転倒することはなかったものの,停電で液体窒素再凝縮装置が停止したため,クエンチの危機に曝されることになりました。業者や同じような状況に遭遇しているであろう知人とも一向に連絡がつかず一時途方に暮れましたが,関係者のご尽力で,震災から1週間後に液体窒素を補充することができ,10日後には電気も復旧してクエンチの危機を脱することができました。しかしながら,マグネットが3本の支柱からかなりずれてしまい,稼働できる状態に戻るまでには相当の期間を要すると思っています。東北大学の理科系研究科が集積した青葉山地区では,農学研究科以上の被害が出ていると聞いています(ガソリンが尽きてしまい,視察に行くことも叶いません)。

 近い将来に宮城県沖地震が起こると言われ続けてきたため,東北大学ではボンベや冷蔵庫,ロッカー,薬品棚,書棚等の固定,試薬瓶の落下防止措置がうるさいほどに徹底されていました。そのため,それらが転倒・落下して被害が拡大することは避けられましたが,廃熱スペース確保のために固定が不十分であった大型冷凍庫が動いて廊下を塞いだり,実験台に置いてあった有機溶媒の瓶が落下して,溶媒が床一面に流れ出るといったことが起こってしまいました。小型の分析機器やOA機器もかなりの数が落下・破損しました。NMRから溶媒の瓶に至るまで,最悪の事態を想定して,日頃からきちんと対策を講じておくことの必要性を痛感しています。

 この原稿が掲載される頃には,以前の平静を取り戻して,研究活動が元に戻っていることを願っています。最後に,散り散りになってしまい,きちんと送り出すことができなかった卒業生,修了生にお詫びするとともに,様々な御支援を申し出て下さった皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。

(2011年3月30日受理)
ページ更新日
2011年10月24日