公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

研究の継続性と独自性
橋本 俊一


 私は1971年9月から東京大学薬学部の山田俊一先生が主宰されていた薬品製造化学教室で卒業研究を開始した。大変人気のある教室で,総勢27名前後と当時としては大所帯であった。仕事の厳しさを超越した人気の秘密は,有機化学が全盛時代にあったことに加え,先生の名講義と情熱によるところが大であった。博土課程進学者が多かったため,修士2年でもまだひよっ子の扱いであったが,逆に先輩から実に多くのことを学ぶことができた。当時のスタッフは,古賀憲司先生,阿知波一雄先生,塩入孝之先生,寺島孜郎先生,広井邦雄先生と豪華な顔ぶれ。特にセミナーは濃密で活気があった。山田先生は1960年代初頭,「生命の世界は光学活性の世界である」との信念のもとに,未開拓分野であった「L-アミノ酸を活用する光学活性化合物の合成研究」を創始されたが,ご退官の1976年時点でも薬学領域での主流研究はヘテロ環化合物の反応と合成,ラセミ体でのアルカロイドの全合成であった。L-アミノ酸をキラルプールとして活用した糖類,テルペン類,各種アルカロイドの不斉全合成,プロリン誘導体を用いたエナミン経由の不斉反応の開拓研究等,今更ながら山田先生の慧眼には感服する。一方,薬学領域の華であったヘテロ環化学は,特定のヘテロ環化合物に精通した先生が少なくなり,製薬企業は困っていると聞く。先達の先生方が築いた財産を勇気をもって継承し,拡大することも極めて重要である。

 分子レベルでの「ものづくり」を使命とする有機合成化学は,有機金属化学,有機反応化学,有機構造化学等と密接に関連した統合学問である。最近の嬉しいニュースは,エーザイ(株)の抗がん剤「ハラヴェン」が米国,シンガポールに次いで欧州でも承認されたことである。ハラヴェンは,1985年に上村大輔先生らによりクロイソカイメンから単離・構造決定され,1992年に岸義人先生らにより全合成が達成された,抗腫瘍性ポリエーテルマクロライド化合物ハリコンドリンBの右半分から設計された誘導体である。その合成は,元の構造が単純化されたとはいえ,実に総工程数60以上を要する〔本誌,69,600(2011)〕。しかも工業的規模での大量供給を実現している。複雑かつ特異な構造様式を持つ天然物を創薬のリード化合物とした医薬品開発の好例であるが,その難易度はこれまでに例を見ないものである。昨年来「科学技術」か「科学・技術」かの表記を巡る論争が続いているが,天然物化学・有機合成化学・創薬化学・プロセス化学の融合から生み出されたこの金字塔は,科学と技術の進歩は両者の相乗効果のもとで最も効率よく実現されることを実証している。ハリコンドリンBの発見から4半世紀,研究の成果が結実するには長い時間がかかる。ともすれば,最近は競争的資金に振り回され,成果が比較的出やすい,あるいは役に立つことばかりを謳った研究テーマを求める風潮がある。強い信念を持って各自のオリジナルな研究を継続して行うことができる環境整備が喫緊の課題である。

 ところで,構造の確認・決定を含む天然物の初全合成の価値は現在でも極めて高い。もともと全合成一番乗りの競争はあったが,1990年代半ばのタキソールの全合成競争以降顕在化し,ますます競争は熾烈となっている。しかし,銀メダルのない天然物の単離・構造決定とは違い,全合成は必ずしもそれが全てではない。真に物質供給を可能とする合成法や他の天然物合成の逆合成解析にも波及効果を及ぼす革新的合成法の開発の重要性は言を俟たない。最近,「炭素-水素結合の活性化」をキーワードとする直接的な触媒的分子変換反応の開発が,これまでに類を見ない猛烈なスピードで展開されている。「クロスカップリング」同様,この分野も我が国のお家芸で,日本人研究者からオリジナリティーに溢れた数多くの反応が生み出されている。この分野を推進している若手研究者には,天然物合成にも挑戦してもらいたい。

 私の恩師の古賀憲司先生は,「勉強は若い時しか出来ないよ」とよく言われていた。その時は若気の至りで,何を言われているのかと思ったが,自省を踏まえると,正鵠を射ている。また,「自分にしかできない仕事をやろう」とよく言われていたが,中堅以上の研究者に比べれば,余分なプレッシャーが遥かに少ない大学院生,若手の研究者の方々には,リスクを負ってでも自分が本当にやりたい研究テーマを見つけて挑戦して頂きたい。

(2011年6月3日受理)
ページ更新日
2011年10月25日