公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

At a Glance現象:知識易得,知恵難求
中田 雅也


 最近,図書館に行かなくなった。昔は,すなわち私が学生や青年から中年の教員であった頃は,分からないことがあったら,まず自分の頭で考え,次に身近にある本で調べ,それでも分からなかったら,図書館で勉強した。今の私は,分からないことがあったら,まず自分の頭で考え,次に身近にある本で調べ,それでも分からなかったら,文献も含めてネットで色々調べる。ネットで調べれば,たいていの単純で簡単な答えは即座に得られるが,若い人達に注意してほしいことは,考えても分からない時に勉強不足を痛感することが大事なので,「まず自分の頭で考える」という部分を飛ばさないことである。「調べても分からない」=「ネットに出ていない」ということにならないようにしてほしい。ネットは,専門外の知識の習得には大変便利である。しかし,専門分野に関しては,「帯に短し襷に長し」であることが多いことを分かって利用しなくてはならない。

 図書館に行かなくなったもう1 つの理由は,論文誌の電子化である。電子化されていない論文誌はもう見なくなった。というよりも,そのような重要な論文誌はないに等しい。従って,アブストラクトの内容から新着情報を得ることになる。アブストラクトしか見ないで読みたい論文を探すことを,at a glance 現象と名付けた。気合いを入れてアブストラクトを書かなければ,誰にも見てもらえないことになる。となると,目立つためには漫画のようなアブストラクトを書くことになるのか,無闇と構造式に色を付けるのか。昔ならば,冊子の頁をめくっているうちに,必要な情報が偶然目に入ってくることも多々あったが,今は,細かい知識は,Web データベースにおまかせである(必然的検索)。しかもこんなに便利な物はない。だから大いに利用して,研究の効率化を図ろう。問題は,Web データベースになら何でも出ていて,それのみが正解であると思ってしまう若者がいることである。最近では,合成経路までもが出てくるらしい。でもやはり,「まず自分の頭で考えよう」。

 知識易得,知恵難求とは,知識は得やすくとも,知恵は求め難し,すなわち,苦労しないで知識を得て,知恵を得るのに苦労する,ということである。コンピュータと分析技術進歩により,少量でも短時間で化合物の各種データが得られ,目的化合物のみならず,副生成物の構造までもがわりと容易に決定できるようになった。また,いろんな試薬が自分で調製しなくても売っている時代になった。こうなると結果が速く得られるから,学生さん達は大変忙しくて,実験の合間にソフトボールやサッカーをしたりして遊んでいられないのである。しかし,スピードアップで得られた時間を,実験のみならず,「自分の頭で考える」ことに使ってほしい。

 私の専門である天然物の全合成研究の分野では,極めて複雑な構造をもつ天然物の全合成が達成できる時代になってきた今,アイデアルシンセシスの実現が話題の1つである。そのために必要な条件としてよく唱えられているのは,アトムエコノミー(原子を捨てない反応を利用して全合成完成),ステップエコノミー(短い工程数で完成),ポットエコノミー(1 つのフラスコ内で複数の反応を実施する手法を利用して完成),レドックスエコノミー(酸化還元反応を交互に繰り返さないで完成),の考えである。あと2 つ付け足すとすれば,コンディションエコノミーとテクニックエコノミーであろう。コンディションエコノミーとは,可能な限り条件が穏和な反応での全合成完成を目指すことである。テクニックエコノミーとは,可能な限り方法が容易な反応を使って完成することである。これからの全合成は,これらのことを否応なしに考慮した方法で実現することが望まれるであろう。容易に得られた知識だけでは,このようなアイデアルシンセシスの実現は不可能である。「自分の頭で考える」ことを繰り返し,知識を知恵にまで昇華させて初めて可能になる。そうなれば,面白い全合成や反応開発がきっと達成できる。さらに必要なことは,研究のセンスを磨くことである。そのためには,柔軟な思考と知的誠実さ(聞く耳をもつこと)をもち,独善的にならずに個性を維持することが重要であろう。若い人達の奮闘に期待する。

 蛇足ながら,知識易得,知恵難求という言葉は,ネットで調べたあとに造語した。


(2011 年12 月9 日受理)
ページ更新日
2012年4月23日